御祭神亀山天皇後宇多天皇は元寇の役邦家塁卵の危き時
に専ら伊勢神宮を初め天神地祗を御信仰遊され皇室邦家民生の安泰のために只管天祐神助を祈らせられ深き御神助の下元軍を西海の藻屑と消え失せしめ給ふたつのであります。又御祭神小弐資時公以下麾下將士及戍申役以来の護国の御英霊等が戦場に職場に御国の御柱として尊き命を捧げられた御事蹟は御国の栄えと共に尊く光り輝き私共の永く敬仰して止まぬ処で御座います。これに依り御祭神は国難事変に際して深き御神威を顯はし給ひ平時に於ては国家の平和を護らせ給ふ神々であらせられます。
當壱岐島民は(遺族崇敬者)昭和三年以来当神社御創建の事業を進め戦時下に物資困難なる時節に各方面の援助の下昭和十九年御本殿の建設を見たのでありますが昭和二十三年十一月三日御祭神三柱の大神等鎭座祭執行同二十七年には壱岐護国神社の鎭座祭を執行し本部護国の御英霊を安鎭し同二十八年には畏くも宮内庁掌典長甘露寺受長氏より祭祀幣帛料が大前に奉尊されました。
同二十九年には角南造神宮局長来社境内外等視察計画樹立され同三十年には靖国神社より奉幣あり同三十一年秋十一月八日靖国神社御分霊を奉遷し同時に社名併稱の事となりました。
同年三月二十六日遺族崇敬者を以て献饌講を結成するに当りては畏くも伊勢神宮より御稻種を下賜せられました。
又昨春四月御祭神兩天皇御尊影宮内庁御原図の謹寫を許され本春四月二十一日例祭に当りて本殿の神座に奉安致しました。
かくの如く皇室を始め遺族崇敬者国民一般の厚き御信仰の御業蹟は只々感激の外御座いません。就いては御由緒概要を左に略記致します。
|